『天盆』執筆備忘録

C★NOVELS大賞の特別賞を頂いたデビュー作。

☞最初の種は、「少年ジャンプのようなバトル物」×「家族」。とにかく熱い小説を面白おかしく書きたい、というのが発端だった。小説でバトル物をするなら、格闘ではなく知的格闘の方がよさそう、と論理的に考えるまでもなく、盤戯がよいだろうと最初から考えていた。発売後に架空の盤戯をよく書いたといった感想も目にしたけれど、当初の私は全く逆のことを考えていて、実在する将棋やオセロやチェスや囲碁を題材にすると勝負の展開にある程度の現実性を求められる重力が生じるから、架空の盤戯のほうが自由度が高まるだろう、と考えていた。

☞架空の盤戯を書けるのかも、漫然と、できるのではないかと思っていた節があり、理由は、少年ジャンプのバトルものは、というかそれに限らずハリウッド映画などでも描かれる対決や勝敗は、実は「思想対決」であることが多く、どちらのスタイルが、どちらの思想がより上を行くか、相手をねじ伏せるかという「説得力の勝負」になっていると考えていたからで、ゆえに架空の盤戯であっても、というより架空だからこそ、「勝負の流れ」を描け、そして対戦者の「思想対決」が描ければ、成立しうる、むしろ架空のほうがそれを自由に描けると思っていた。

☞設計図は全く用意せず、本当に書きながら次のシーンをどうするか、次のシーンをどうすれば楽しく書けるか、と積み上げる書き方をした。出来上がったものを見ると、修行、師との出会い、地方大会、全国大会、と本当にテンプレートそのままになったが、それはこのテンプレート自体がそれだけ強固で感情やストーリーラインを作りやすいということだと思われる。

☞が、まったく何もなく書き始めたわけではない。書き始めようと思い切った時点で、「最終的にこの台詞にたどり着ければいい」という、最終ゴールだけ決めていた。たどり着く台詞が決まっているから、途中でその反対のことを誰かが言っておかねばならないとか、途中でゴールの対義にあたるスタートになる問いを誰かが抱かねばならない、という具合に、ゴールが明確だからこそ、そのゴールを劇的に見せるために何をちりばめておかなければならないか、が行き当たりばったり書きながらでも見えていたので、入れ込めるチャンスがあるところでそうした伏線を入れることができた、というのが執筆実態だった。ちなみに、その辿り着けばいいゴールとした台詞とは、最後に二秀が思い出す言葉だ。それを北極星として、その方角に向かって道を探しながら書いた。

☞蛇足だけど、その後、この小説の最後に置かれる文章は、書いている流れと勢いで、手から出てきた言葉だった。要は無意識というかその場の感覚ででてきた言葉だが、初校や再校に手を入れながら、なるほどこの小説は、この最後の一行に集約される小説なのか、と得心したのを覚えている。こんな風に、最初の設計図に書かれている台詞が、思う通りに置くことができた嬉しさもひとしおだが、それ以上に、書いているさなかにその勢いで手から出てくるように出された思ってもいなかった台詞が決まって、むしろそれが小説において要石になっていることに気づくときが、私にとって小説を書いていて一番面白い瞬間のひとつだったりする。後者に類する台詞としてすぐ思いつくのは、『青の数学』で夜の数学者が言う台詞で、あれも何か台詞が必要とは考えていたけれど、いざそのシーンを書くときに手から出てきた台詞だったが、結果1・2通して『青の数学』はこの台詞に集約される小説だともいえる要石になっている。

☞長くなってきた。この執筆備忘録で、忘れる前に自分のために書き留めておきたいと思っていることは主に二点あり、ひとつは冒頭に書いた「最初の種が何だったか」。もうひとつは、「その小説を守護した音楽がなんだかった」。私は小説を発想するために、その小説を書き始めようと決心するために、書いている間どちらに行くべきかを確認するために、書きながら気分をそちらに誘導するために、音楽が必要であり、音楽がないと多分書けない。その企画を表現する曲を定め、何度も聴きながらイメージを深め、書こうとする小説の「おおまかな輪郭」を幾度も曲を聴いて都度都度何度も思い出す。企画が最終的にどのような形のものになるべきかの「おおまかな輪郭」を、いくつかの曲で自分の精神にブックマークし、リマインドし続けることで、長編を書ききる。ひとつの長編について、そのヨスガとなる曲は一曲ではなく複数あり、シーンや場面によっても変わるし、執筆途中に新たに見つけて加えることもあるし、執筆時と校正時で違う曲を使う場合もある。

☞で、この『天盆』という小説を成立させてくれた、最初から最後まで通して最も重要な曲はねごと『sharp#』になる。疾走感、ポップ感、軽さ、儚さ。読んでくれた他人がこの曲を聴いてどう思うかは全く分からないけれど、執筆者にとってこの曲は『天盆』と切り離せない。もう一曲、対になる重要な曲が、Love psychedelico『Calling You』になる。こちらは、たとえば中盤のシビアな対局が続くシビアなシーンを書くときを筆頭に繰り返し聴いた。『sharp#』を表と疾走感に、『Calling You』を裏と無常観に、大きく『天盆』はできている。初めての校正作業時に繰り返し聴いたものとして思い出すのは『マン・オブ・スティール』の予告編。これも校正という初めての細かい作業を前に進めるために聴き続けた。

☞付記すべき話として、受賞した後、担当編集者からの指摘を受けた改稿で、おそらく体感三割ほど長くなっている。覚えている大きい指摘は女性キャラクターが類型的・差異が少ない、というもので、そのためにたとえば九玲が啖呵を切る場面をはじめとしたシーンが追加された。この改稿作業では、シーンを追加するたびに面白くなっているという実感があったのを覚えている。これは更なる余談だけど、「改稿できる」というのは、小説家にとって重要な資質だと思う。

☞更なる余談だけど、この小説でデビューさせてもらうまでに、他に応募作を三作書いている。それらのアイデアもいつか拾いたいという願望を懐に抱いてはいる。