『マレ・サカチのたったひとつの贈物』執筆備忘録

☞デビューさせてもらい、2作目はどうするとなったとき、自然にSFを書こうと思っていた。どのジャンルに挨拶をしていくかの観点で当時2014年時にいち読者として最も関心が高かったから、という算段もあったが、一番の理由は書きたかったから、自分が本当に書きたいことを全部入れられる自由な箱となるとSFではないか、という身も蓋もない言い方が近い気がする。実際、この小説が『伊藤計劃トリビュート』寄稿に繋がったところはある。

☞「最初の種」は、量子力学×資本主義。なぜこの二つの組み合わせなのか、という当然の問いには、自分の関心があったから、以上の答えが実はない気がする。量子力学は仏教やマレビト信仰などとも底流する類似性があって、これまでの人間の文明の基礎となってきた思想と違う見方を提示するものではないか。それと、いまの世界の問題としての資本主義。とにかく当初はいまの世界(資本主義)をある視点(量子力学)を通して描く、という曖昧模糊なイメージだけがあり、量子病というアイデアを早々に思いつき、量子力学の理屈を人間にあてはめたら目の前の世界を異化して描けそう、と名前も含めて面白く感じたものの、どう小説にするかは迷った。自分の意思と無関係に跳ぶ人間が、どうすれば小説になるか。

☞やれるかもしれないという無根拠な感覚を与えてくれたのはメレンゲ『シンメトリア』で、ああ、こういう「おおまかな輪郭」のイメージにすればいいのか、と最終的に書き始めるに踏み切れたのはこの曲に拠ると明確に覚えている。もうひとつあるとすると、ローラン・ビネの小説『HHhH』。内容ではなく、この小説の、かなり短い小節も含めた断章が連なっていく構成と、その中にレイヤーの違う小説家自身の体験が混在する、という「形式」。跳び続ける受動的な主人公がいたとして、それをどう小説にするかを考えた時に、三人称で複数視点の俯瞰的な話にするか、一人称にするか、と小説の「形」自体を考えあぐねていたときに思い出し、断章で時間も空間もレイヤーも違うものが混在する形式なら、書きたいことが全部入れられる便利な箱になると思い、であれば主軸は俯瞰的な話でなく一人の人間の半生という小さな視点に固着すればいい、と「形」が浮かんだことも、書き始めるに至れた決定打となった。前作と同じ同じかけ算が最初の種ながら、こちらはその掛け算に小説の形式やスタイルやジャンルを含んでいなかったため、どういうスタイルの小説にするかを悩んだということになる。

☞余談だけど、私の場合このように、テーマやモチーフが最初の種になるため、それをどう「小説」にすればいいのかで悩むことが多い。この最初の種の作り方も変えたい、違う最初の種から小説を組み立てる方法もモノにしなければ、という課題意識が、この備忘録を書いている理由のひとつでもある。つまり、いままでの方法を捨てるために書いている、というか。

☞主人公は、実は書き始める直前まで男性で想像していた。具体的なイメージの彩度が上がってきた執筆開始直前に「これは男性か? 女性ではないのか?」とふいに思いつき、思いつけばその疑問はすぐに大きくなり女性が当然ではという考えが膨れ上がる一方、女性主人公で書ききれるかの逡巡もした挙句、けれどそう悩まずに女性がふさわしいと書き始めるに至った。

☞前作と違い、こちらは辿り着くべきゴールを設定していなかった。とにかくどんなものが作り上げられるのかを一節一節積み重ねながら模索し続けた。結果、一度一旦最後まで書いたものは、リアリティラインが揺れているという担当編集者の指摘の通りの代物であり、半分ほど棄却して書き直して、現在の形になった記憶がある。

☞もっと直截に言い換えると、書き始めた当初は「贈物」が何かを思いついていなかった。そもそもの仮タイトルに「贈物」とも入っておらず、「贈物」を思いついたのは終盤の老人との対話に入っていったあたりで、「ああ、これをキーにすればこの小説が終われる、いままで書いてきたことが繋がる、量子病の意味がクリアになる、タイトルを『贈物』にすればタイトルになる」と散りばめたピースが綺麗に形になっていくことに震えたのを覚えているし、「なぜこれを今まで思いつかなかったのか、思いつかずに書いてきたのか」と逆の意味で震えたのも覚えている。刊行後に別出版社の方に、書き始めたとき贈物を思いついていなかった話をしたら「ダメじゃないですか」と言われたのも覚えている。

☞この小説を書き始めさせてくれたのが『シンメトリア』なら、中盤以降の執筆やその後の校正作業でずっとお世話になった、この小説を書き終えさせてくれたのがBUMP OF CHICKEN『ファイター』になる。この曲が、『シンメトリア』で芽吹いたこの小説がどのような木として完成させるべきか、のコンパスになった。同様にこの小説を書いている時期によく聴いたのは、perfume『MY COLOR』になる。

☞こうして思い出しながら書き記すと、よくこの形で完成した、と思うけれど、ひょっとするとそれは執筆している自分を侮っている見方かもしれず、なるべくして思いついていったのかもしれないとも思う。こういうことは本当に毎作ある。毎作、多かれ少なかれ、こういうふうにできている。こうして書いてきた通り、前作も今作も、事前にプロットを立てていない。登場人物一覧表も作らない。登場人物は、登場するその時点で初めて考えている。次にどんなシーンが来るべきかと積み重ね、どんな形になっていくべきかを考え、言葉に一歩一歩落とし込んでいく。結果、今作では半分書き直すことになったわけだし、この後の小説ではその混迷度合いが増している。ゆえに、方法を変える必要を感じている。

☞これも余談だが、出来上がってみて、この小説は、当時小説でもアニメでもいろんなフィクションで散見されたあるビジョンに抱いていた反感が結果として形になっていて、ちょっと驚いたのも覚えている。思っていることに収斂していくんだな、というか、思っていることが形になっていくのだなと。書いてみれば当たり前の話で、思っていることしか書けない、ということに過ぎないのだなと。

☞当然、最初集めたもので入れられずに捨てたものの方が多かったけれど、書きたいことを書きたいように書くことができた、充実感のある一作。